華やかな色使いが魅力の堺の注染

注染とは、折り重ねた布に裏表から染料を注ぐ染色の技法のこと。明治時代中期に大阪で生まれ、現在も手ぬぐいや浴衣の染色など、日本各地で行われています。

表裏を同時に染めるため、表も裏も同じ柄が同じ色合いで出せるのも魅力のひとつ。また、生地の上に染料をのせるのではなく糸自体を染めるため、色褪せにくいうえ通気性もよく、さらに柔らかく仕上がるのが特徴です。特に堺に伝わる注染の技法は、多彩な色の組み合わせや、色の濃淡をつける“ぼかし”により、立体的な絵柄を描くのが得意です。

明治時代から受け継がれる伝統の技法

工程は全部で4つ。専門の職人がそれぞれ分業で行なっています。長年の経験を通して養った職人たちの技術と感覚は、どんな機械よりも正確です。

まずは、糊置き。

布の上に図柄を模った型紙を被せ、染色しない部分に木べらで特殊な糊を塗ります。糊を塗った部分には染料が浸透しないため、生地は白地のまま仕上がります。糊を塗った生地の上に、さらに生地を置いて同じ作業を50~60回繰り返します。ここで少しでも生地がずれると柄がつぶれ染料がうまく浸透しないため、横幅を揃えながら丁寧に折り返し生地を積み重ねていきます。

次に、土手引き・注ぎ染め。

染料の広がりを防ぐため、染色する部分を糊で囲み土手をつくります。そこへ金属製のジョーロを使い、生地に染料を注ぎこみます。と同時に、下からもポンプで染料を吸い込み、一気に均等に色を浸透させます。この作業を裏表から行うことで、両面がしっかりと染まります。また、複数の色を染め分けたり、ぼかしを入れて色をグラデーションさせたりする場合は、色ごとに糊で土手をつくり巧みに染め分けます。

そして、水洗い。

染め上げた生地を水で洗い、余分な染料、糊を落とします。今は工場内の水洗機を使いますが、その昔は工場の向かいを流れる石津川で行われ、川の水流にゆらぐ晒はこの地域の風物詩になっていたそうです。

最後に、脱水・天日干し。

円心脱水機にかけた後、洗い上げた生地を乾燥台から吊るして自然乾燥させます。風になびく生地は、夏であれば30分、冬であれば90分程度で乾きます。

残された注染工場が協力し新たな商品を開発

そんな注染の伝統を受け継ぐメーカーのひとつが、1952年(昭和27年)の創業から3代に渡り、注染浴衣、注染手拭い、捺染(なっせん)手ぬぐいなどを手掛ける協和染晒工場。伝統工芸士として活躍する代表の小松隆雄さんは、「現代の名工」や「黄綬褒章」などの受賞歴のある名匠です。

堺市毛穴(けな)町の石津川沿いに建つ工場を訪れると、色とりどりの布が風になびき、ひと目でそこが染色工場だと分かります。

「このエリアはかつて、晒工場や染色工場など35軒ほどの施設が密集し、注染の一大生産地として賑わっていました。それが今は10軒程度。染色工場はわずか3軒です。それでもみんな、昔ながらの技術を受け継いだ職人たちが集まって、丁寧なものづくりを続けています」

ただ、注染は手ぬぐいや浴衣をメインにしてきたこともあり、それらの利用が減るとともに注染の需要も右肩下がり。高齢化による職人の減少も心配です。

「注染の魅力をたくさんの人に知ってもらうにはどうしたらいいか、同業者と話すうちに、今のライフスタイルに合わせた商品をつくらなければ、という結論に至ったんです。若い世代が普段使っているものや使いたいと思ってもらえるものをつくらねば、と」

これをきっかけに、毛穴町の注染工場が集まり「左海壺人(さかいつぼんど)」を結成。現在は、協和染晒工場と北山染工場の2社で、バラエティ豊かな注染アイテムを開発・販売しています。

「昔は染料を壷で混色していたので、今でも職人のことを壷人(つぼんど)と呼ぶんです。ブランド名を「壷人」と名づけたのは、そのこだわりを持ち続ける職人気質を伝えたかったから。明治時代から昭和はじめにかけての全盛期から、今もなお日本の一大生産地として、全国各地からたくさんの注文を受けているのは、堺の注染技術が優れているからだと自負しています」

注染では難しいとされる細かなデザインと鮮やかな色を再現できるのは、協和染晒工場ならでは。「左海壺人」では、2024年の堺キッチンセレクションに選ばれた扇子をはじめ、2022年に選出されたガーゼハンカチ、そしてステテコなどもラインナップ。注染の美しいデザインを生かして、今後もどんなアイテムが繰り出されるのか楽しみです。

取材・文/土屋朋代 撮影/佐藤裕

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