江戸時代、紀州街道を通じて木綿が運ばれることにより、 堺は木綿商いの中心地となりました。
織りたての天然繊維である木綿には油分や糊が付着しており、これらの不純物を落として漂白することで、柔らかな肌触りの和晒が生まれます。
堺中心部を貫流している石津川沿いの津久野や毛穴(けな)地域では、木綿の栽培に加え、今から400年ほど前から和晒づくりが行われてきました。明治時代になると、和晒生地に染料を注いで着色する日本独自の染色技法・注染が編み出され、注染・和晒が堺の伝統産業として発達していきます。
1903年に、大阪市天王寺区で開催された「第五回内国勧業博覧会」では、注染による色鮮やかな浴衣地が出品され入賞を果たしました。 浪花華や阪中と呼ばれて人気を博し、全国に広まっていきます。
現在のように注染と呼ばれるようになったのは、1935年頃のこと。1950年代に最盛期を迎えた注染製品ですが、現在では手ぬぐいや浴衣以外にもさまざまなアイテムが生み出されており、堺の伝統を今に伝えています。そんな注染・和晒の製品は、2019年に「浪華本染め」として、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されました。
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